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「東京するめクラブ」熊本再訪記事の予告編

ほぼ2ヶ月前の9月6日から9日までの4日間、
「東京するめクラブ」が熊本に集まって
チャリティー・イベントを開催しました。
これはそのご報告(の予告編)です。

クラブと言ってもメンバーは
村上春樹、都築響一、吉本由美のたった3人きりで、
発足したのが2002年。
それぞれふだんはまったく異なる世界に生きているのですが、
何か面白いことをやりたいときにユニットを組もうという仲間です。
名付け親は春樹さんで、その心は
「たいしたもんじゃないですけど、くちゃくちゃ噛んでいるうちに、
なんかそれなりの味が出てくるのでは・・・」
という観点から付けてみたという話。
で、2002年から2004年までの2年間、
3人でちょっと変なところへ行って、ちょっと変なものを見て回る・・・
という旅をしました。
行き先は、名古屋、熱海、ハワイ、江ノ島、サハリン、清里。
つまり、
すごい変なところではなく“ちょっと変なところ”というのがミソなのです。
この旅行記は2年にわたり雑誌『タイトル』に連載されました。
(その後『東京するめクラブ 地球のはぐれ方』という単行本に)

あれーっ、またまた前置きが長くなりつつありますね。す、すみません!!
でもまだ続けさせてくださいませね。

それでです、2011年、私が東京を去ることになり、
こじんまりと「するめお別れ会」をやってもらいました。
そのとき、機会があったらまた何かやろう、という話が出て、
そうだねえ、なんてお気楽に構えていたら、
なんと去年、まさかの来熊提案が!
なんで熊本に来るかア、と初めは二の足踏んだ私。
けれどよくよく考えてみますれば、
“ちょっと変なところ”は
名古屋には負けるにしても熊本にもいろいろあるなと思い直し、
得意のツアコン魂を発揮して
するめに相応しい場所をあれこれセッティング。
そして6月に集合し、
私が案内、春樹さんが取材、響ちゃんが写真、という役割分担で
熊本近郊(市内〜荒尾〜人吉〜津奈木〜日奈久〜八代〜阿蘇)を
歩き回るという旅をした。
その探訪記は雑誌『クレア』9月号に発表されました。
(後に村上春樹紀行文集『ラオスにいったい何があるというんですか?』に収録)

長い前置きはやっと終わり、ここからが本番です。
熊本大地震が起きたのはその10ヶ月後のことでした。
一応被災者だった私は自分や周りのことで手一杯頭一杯でしたが、
間を置かずに、春樹さん、響ちゃん、クレアのみなさんの“チーム東京”が
「CREA〈するめ基金〉熊本」を立ち上げてくれた。
すると全国から温かいご支援を得て多くの寄付金が集まりました。
びっくりするほどの金額です。
最近流行ってる言い方で言えば、ありがたいのひと言です。
で、その大切なお金をどう有効的に使うか、の相談のためと、
昨年回った場所がどういう被害を受けているかの確認のため、
再度“チーム東京”のみなさんのご来熊が計画されました。
そしてせっかくだから熊本でもう一度“朗読&トーク”をやって、
〈するめ基金〉に寄与するというチャリティー・イベントが企画されました。
今回はお金を集めるのが目的なので、
昨年橙書店でやったようなこじんまりとした集まりではなく、
たくさんの人にお出でいただく必要があります。
入場料金が安価なので
少なくとも200人以上の方々にはお越しいただきたいわけで、
クレアウェブで全国からのご参加を募りました。
場所は、
地震の前まで演劇、ダンス、講演会などが催されていた
元は醸造所だったという「早川倉庫」を選びました。
明治10年建築という古い建物ですが、
さすがに倉庫だけあって頑丈です。
あの大揺れにも一部を損壊だけでしっかり生き残っているのですから
すごいことです。
イベントは
★村上春樹の自作朗読
★都築響一の九州珍スポット秘話
★するめ3名のスペシャルトーク
という内容。
トーク? かなり人前嫌いになっている私は、
何を話せばいいの?何もないよ、と申し立てたら、
「隣に座っていればいい」とのことなので、
取り敢えずツアコン業務を引き受けたという次第です。

さて初日の9月6日。
昨年同様今年もみなさん(春樹さん、響ちゃん、担当編集者の竹田さん)
空港からウチへ直行なさった。
ワインで再会を祝したあと、
微々たるものでしたがウチの被災状況を見てもらいました。
写真はその途中のキッチンで、
響ちゃん撮影の春樹さんとすみれのツーショットです。
ちょっと緊張気味なすみれ。

すみれ&春樹さん


ホテルに荷物を置いてまずは新市街玉屋通りの「橙書店/オレンジ」へ。
一応営業していますが古い長屋形式の店舗の被害は大きくて、
壁のあちこちにひび割れが。
私は心配で、口を酸っぱくして「引っ越した方がいい」と
店主のひさこさんに言い続けたものです。
(現在は新店舗に移転したので安心)
店の看板猫しらたまは
地震のあと神経過敏になって家に引っ込んでいましたが、
今日は春樹さんが来ると言うことで特別出勤してくれました。
熊本発の文芸誌「アルテリ」の前で。 

しらたま



7日の二日目は白川に近い北千反畑町の「漱石第六の旧居」に行きました。
夏目漱石は熊本時代6回も引っ越しをしていて、
この個性的な門構えの
庭に大きな芭蕉の樹がある二階建ての木造家屋が
熊本最後の住まいになります。
実は地震直後、
竹田さんが心配して様子を見に来熊されて、
そのとき私もこのお宅を訪ねました。
築120年は経っている家屋だから無事であるはずがないと
恐る恐るの気持ちでお伺いしたわけですが、
家はちゃんと建っていました。
 
漱石旧居門



ただし家の中はやはり見るも無惨というか、
あちらこちらで壁が崩れたり瓦が落ちたり歪んだりして、
お見舞いの言葉が止むことはありませんでした。
今度はその日から4ヶ月ほど経っての再訪ですが、
大きな余震が長く続いたせいかさらに被害度は増していて、
壁のひび割れや崩れ方が大きくなっていた。
持ち主のご姉妹も先々の管理は荷が重いとお困りの様子でした。
建物の説明に来て下さった日本文藝家協会の中村青史先生の話に
耳を傾ける春樹さん。

旧居2階



次に熊本城へ行きました。
城内へは一般の人は入れないのですが今回は特別に許可を得て、
熊本城総合事務所の梅田雄介さんに案内していただきました。
天守閣からもっとも離れた城への入口櫨方門の手前にある
備前堀の美しい眺めが好きで、
お城へ行くときは必ずここからスタートしたものです。
これは1年前の景色。

地震前の濠



それがこんな具合になっていました。

地震のあとの濠



まるで爆弾を投下されたあとのような破壊のされ方です。

破壊された石垣



長塀も歪んで見ているだけでくらくらしました。 

塀も歪み



モノトーンで直線的でダンディーだった宇土櫓でしたが・・・

地震前の天守閣



今やこの惨状・・・悲しい。

地震のあとの天守閣風景


天守閣床下の空洞を撮影する都築カメラマン

天守閣の石垣も崩れ



天守閣の屋根瓦の崩落に次いで話題になったのが、
石垣がほとんど崩れ落ち
たった1本の石垣に支えられている飯田丸五階櫓の様子でした。
その“飯田丸五階櫓の倒壊を防ぐ工事”のための
応急工事として設けられた鉄骨の架台について
梅田さんから説明を受ける春樹さん。
「一本石垣」も涙が出るほどひたむきでいじらしけれど、
ほとんど宙に浮いている櫓を抱え込む架台を作る、という発想をして
それを実現させた人間の力にも感動しました。

一本石垣の応急工事



滞在三日目の8日。
本日はメインイベント、
午後7時にチャリティー・トークが予定されています。
朝は街を歩きました。
まだあちこちにシャッターを降ろしたままの店舗があります。
一見何でもないようでも“赤紙”が貼られて、
古いビルは内部崩壊が激しいですね。
知っている店舗が何軒も休業に追い込まれました。
本屋さんのシャッターに貼られた励ましのメッセージを読む都築響一氏。

閉店中の本屋さん前



午後6時。イベント会場の開場時間です。
午後1時にはもう並んでいる人がいた、という情報を聞いて、
さすが“ムラカミハルキ”だなあと感心した・・・というか驚きました。
ファンが熱いですね!
会場入口に出された案内ポスターの
するめと3人のイラストおよび書き文字は
発足時から担当してくれた今は亡き安西水丸画伯の作品です。
思えば水丸さんは“4番目のするめ”でした。
 
イベント看板



熊本の9月はほとんど真夏なのでうちわもお一人様に1つ用意しました。

サービスうちわ




午後7時。いよいよイベントの開始です。
250に近い人たちにいっせいに注目されて春樹さんの朗読が始まります。
倉庫内の薄暗い空気の中に通りの良い声で
書き手本人によるお話しが紡ぎ出されていくひととき・・・
いやあ、いい感じです。
(あー、わたしトーク出たくない。人前で喋るの苦手。だいたい喋ることがないんだし)
と左半分の私は悶えていますが、
右半分の私は話に引き込まれ、聞き惚れている。
ムラカミハルキの朗読を聞けることなんて、日本ではあまりないですからね。
この夜は2つの短編を2016年バージョンで語ってくれました。
静かなお話しでしたが会場内は熱気むんむん。

101-_DSC3090.jpg



次に都築響一「九州珍スポット秘話」トークが始まります。
彼が九州の片隅で見つけた
最高に可笑しく面白く可愛らしい5、6の秘話が
スライドに乗って語られました。
会場のみなさんの99パーセントは
ムラカミハルキの話を聞きにいらしてるわけで、
本当は響ちゃんの持ち時間も春樹さんに当ててもらいたい・・・
と願われているのは
響ちゃんだけでなく誰もがわかっていることでしたが、
あに図らんや、会場は爆笑の渦となり響一話に釘付け状態。
「静」と「動」の個性際だつステージとなった次第です。
最後の3人スペシャルトークは、
“隣に座っているだけでいい”という2人の言葉を信じて
私は極力「はい」「いいえ」だけで耐えました。
するとあっという間に2時間越えておひらきの時間となり、
やれやれです。
人前はほんとに苦手。
一対一なら何時間でも語り明かせるんだけれど。

この熊本再訪の話は春樹さんの手で11月7日発売のクレアに、
“「東京するめクラブ」より、熊本再訪のご報告”
というタイトルで掲載されます。
私の目で見た4日間がクレアでは春樹さんの視線で書かれています。
もちろんそちらの方が、
同じ四日間が思慮深く意味深く読み応えあるってことは知れたことで、
ぜひ手に取って読んでくださいという、
これはその予告編であり、
本編では語られない裏話でもあります。

〈するめ基金〉の寄付受付は年末まで続きます。
詳細は http://creabunshun.jp/ をご覧下さい。
集まったお金の使い道は年が明けてから決めることになります。
3人それぞれに支援したいいくつかの場所があるので、
みなで膝をつき合わせ考えたいと思っています。


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近況報告”畑と番猫”

8月24日未明に起きたイタリア中部の大地震、
凄まじい傷跡を残しましたね。
耐震工事のなされていない古い建物ばかりだったとはいえ、
町が丸ごとごっそりと崩れ落ちている光景は、
津波のあのときの映像の衝撃には劣るにしても息をのみました。
1日に100幾つもの余震があったと聞き、やはりと頷きました、
大揺れに叫びながら家から飛び出してくる家族の姿をニュースで見て、
人ごとではなく心臓が縮み上がる思いでした。

熊本は今も依然揺れが続いています。
8月20日の段階で震度1以上の地震の回数が
前震の起きた4月14日以降2000回に達した・・そうで、
ギネスものです。
良くないことですけれどもだんだん慣れてきて、
多少の揺れには動じなくなりました。
大地震から4ヶ月半経ったのだから
もうあれだけ大きいものは来ないんじゃないかと、
甘いかも・・・ですが思い始めて、
先日、念のために梱包していた
割れやすい器やグラス類の紐を解いて食器棚に戻しました。
倒れた花瓶の水や仏壇から落ちた線香立ての飛び散った灰で
床が大変なことになったのに懲りて、
夜寝るときはそれらを箱に収め床に置くのが習慣になっていたのですが、
花瓶も線香立ても箱を出て、
いつものあるべき場所にあるようになりました。
ゆっくりと日常に戻りつつあります。

なんて言うと、
まだ避難所で生活されている方々や
暮らしを立て直すことが困難な方々に申しわけなく、気がふさぎます。
被災ペットの収容が限界を超えたとか、
動物園は再開のめども立たないなどと
気がかりなことの解決もほど遠く、
復旧復興はまだまだ道半ばで怒りのようなものが湧き上がります。
しかし取り敢えずここでは脳天気に、
そういう6月から8月の近況を報告させてください。

地震後はほとんどやる気の起こらなかった畑作業でした。
けれど、畑の助手である編集女史にお尻を叩かれ、
渋々ながら5月半ばに耕して、
ぎりぎりでしたが下旬には苗をひと揃い植えつけました。
下の写真はそれからひと月ほど経った6月半ばの畑です。
梅雨に入り土は黒々、
枝葉はにょきにょき育っているけれど、
まだすっきりした様子です。

夏の畑2


去年初めて挑戦した“夏の畑”は初心者が陥りやすい失敗
─植え過ぎたため風通しが悪くなり虫が付き実が喰われる─を
見事に踏襲し、ひどいことになったのでした。
同じ轍は二度と踏まない決意で
今年の苗は種類も数もぐううんと絞った。
だからすっきり風通しの良い畑となったと思います。
今年は大好きな水前寺菜も植えてみました! 

水前寺菜

熊本特産の水前寺菜は、
新芽は生でサラダに、
育ったものは湯がいてお浸し、酢の物にしていただいています。
独特の青臭い匂いと味は時間の経過と共に薄らいでいくので、
毎日少しづつ採り立てを食べられたら幸せだと
探し回って見つけた苗でした。
なのに店の人は「水前寺菜は葉っぱを水に差すとすぐに根が出ますよ。
それを植えたら簡単に育つし」という意外な、
というか水を差すようなアドバイスをする。
わざわざここまで来ることはなかったということなのか。


香菜だけは雨除け風除け虫除け猫除けにネットを被せました。

コリアンダー
コリアンダー


ネットのトンネルは見た目が悪いけれど、
種蒔きなのでしばらくはひ弱な幼葉状態が続き、
その間ネットは必要になります。
東京ではネットなしのベランダ栽培を試みましたが
見事に風にやられました。
香菜は私の食卓には需要度の高いハーブ。
残念ながら熊本には常時扱っている店が少なく、
マイ畑での収穫に賭けに出たというわけなのです。


早くも実が付き色づき始めているこのトマト、
実は去年育てたトマトのこぼれ種から自力で育った頑張り屋です。

去年のトマト


連作になるので味は落ちるかも知れませんが、
自力でここまで育っているのをそう邪険には出来ませんものね。
それで少しでも健やかに育つようにと、
この古株と今年購入のミニトマトの苗との間に
トマトのコンパニオンプランツであるバジルを育てています。

バジル


コンパニオンプランツというのは
近くに植えることで互いに虫除け効果が出る(といわれる)
植物同士のことです。
去年の虫喰いはひどかったので神頼み的に植えてみました。


6月半ばから7月半ばまで熊本には雨が降り続きました。
梅雨だから仕方ないとはいえ
毎日毎日ザーザーザーザー・・・呆れるほどに降りました。
庭やテラスのあちこちに茸が生え、
部屋のあちこちにも黴が生えました。
その間、もちろん畑仕事なんぞできません。
プロの農家さんなら
たとえ雨でも畑に出て作業されるのだろうけれど、
こちとら素人、それも超軟弱なオバサンであり、
雨の中の農作業など夢にも思わぬことなのです。

後に激甚災害に指定されたその豪雨は7月15日まで続き、
翌日パタッと梅雨明けを迎え、
それからいきなり
35度にもなろうかという猛暑の毎日が始まりました。
雨の日も畑作業は嫌でしたが、
猛暑日も負けず劣らず嫌に決まっています。
様々な理由を探して畑の手入れをグズグズ延ばします。

8月になると気温はさらに上がって36〜38度の連チャンとなり、
それはもう、暑いから嫌なんて段階でなく、
日中外で作業をすると死ぬかも知れないことになり、
これまた当然、
畑作業は放っぽらかしのままってことになったのです。
毎朝毎夕、部屋の中から、
雑草で混み合っていくマイ畑の混乱を眺めるだけでした。

これが8月20日の畑のボーボーたる様子です。
黄色いパプリカが見え隠れします。
よくよく見れば虫に喰われまくっていた。哀しい。

今やボーボー


畑入口すぐ右の去年のこぼれ種から育ったトマトにも
たくさん実が付いているけれど、ほとんど虫に喰われている。
バジル効果まったくなし・・・というか、
バジル自体が原型を留めないまでに虫に喰われているんだもの、
・・・ったく、用をなさないとはこのことです。

フェンスの中は無法地帯

この“マイ畑の崩壊”については
9月下旬発売の季刊誌『九州の食卓』秋号にも詳しく書きました。
よろしかったら読んで下さい。


さて、うちの玄関前で置物のようになっているこの黒猫は誰でしょう。

P1090654.jpg

地震から10日ほど過ぎた頃、
見慣れぬ黒猫が庭に頻繁に現れるようになりました。
庭猫まみ一家のご飯を狙ってしつこいヤーサンのように
何度も何度も“黒い稲妻”的に襲撃して来ます。
そのたび激しいバトルとなりわあわあぎゃあぎゃあ大変な騒ぎ。
今にご近所から苦情が来るのではないかと
毎晩ハラハラさせられて体に悪いし、
もうこれ以上猫の世話は増やさないつもりでしたが仕方ありません、
黒猫にもきちんとしたねぐらと食事を与えようと決めました。

庭のまみ一家からなるべく離していたいので、
表の玄関脇の車庫の中を使うことにして、
テラスをうろつくヤツにお皿とドライフードの袋を見せ
「こっちだよ」と表のほうへ誘導すると、
たちの悪い無法者かと思っていましたが、
意外やものわかり良い表情(そう見えた)になり、
犬のように脇に付いて来るのです。
トットットッと、
嬉しいときのいわゆるトロットで私に添うように歩いている。
そのとき初めて全身を見ましたが、
まだまだ小ぶりで、若いようでした。

車庫の中に皿を置きカリカリを入れると、
小さな黒い頭を左右に揺すりながら一生懸命食べるのです。
いつもは盗み食いだからガツガツと焦って、
たぶん食べた心地はしなかったのではないでしょうか。
食べ終わると私を見上げ、
正気に戻ったようにサッと後ろに身を引きます。
そのとき右目から血のような液体が流れているのがわかりました。
涎も出ているので口の中にも傷があるのかも知れません。
どら、見せてごらん、と、
手を伸ばすと後ずさりするので触れませんが、
でもすぐに近づいて来るのでどこかしら触れ合いを求めている様子。
生粋のノラではないようです。
毛並みも艶やかだし、
飼い猫か地域猫だったのかも知れません。
居場所に異変があったのか、
パニックで外に逃げ出し行方不明になったのか。
目の怪我はその途中に負ったのか。
どうやら地震の被災猫のようで、
すると急にいじらしくなり、
家なき猫の問題が生じたときはいつも協力していただく
猫ボランティアさんに相談しました。
市の動物愛護センターに問い合わせたり
ネットの行方不明猫掲示板のチェックもしましたが、
それらしき「探してます!」は見つからなかった。
では、ということで7月4日捕獲して、
猫ボランティアさんに動物病院へ運んでもらい、
去勢手術と血液検査と目と口の中の怪我の処置を頼みました。

で、今こうして、堂々の車庫の住人として暮らしています。

クモスケです


車庫にいるから“雲助”と呼んでいます。
駕篭担ぎの“雲助”です。
玄関から出たり、外から帰ってきたりすると、
いつも車庫から半分だけ顔を覗かせて「みゃは」と啼きます。
それが「駕篭ですか?」と言っているようで笑えます。

玄関前で番をするのもお気に入り。
こうしたり・・・

番猫


こうもしたり・・・して、番猫を勤めています。
但し人が来ると真っ先に姿を消しますが。

いつもこんなで


いつも玄関前にいるので
表を通る人が「あら、黒ちゃんが」とか声を掛け覗かれていきます。
近くの大学の学生たちも「いるいる」と笑って指差して行く。
目立ち過ぎるのでときどき「ハウス!」と命令することもあります。
するとスゴスゴと車庫に戻る。犬みたいに!!!

ハウスと言うと


うちに来て約4ヶ月。
車庫の住人としてすっかり落ち着いた雲助でござります。

車庫に戻って

やはり右目は傷ついていました。
きらきらした涙目を毎日ティッシュで拭いてやってます。
歯並びの悪い“ぶおとこ”ですが
そのせいかこざっぱりした顔になりました。
毎日一度は体ぜんたいをマッサージしてやります。
すると仰向けにひっくり返えり
フナムシのように両手両足を上げてわいわいするので
お腹も撫でてやります。
それが嬉しくて仕方ないようで、
私の手を両手で抱いたり甘噛みしたりします。
決して痛くしたり傷つけたりはしないので、
やはり生粋のノラではないと思われます。
とても人懐っこいのです。
車庫を出ようとすると「シャー」と言って足にしがみつく。
寂しがり屋でもあるらしい。
家猫にしてやりたいけれど、
家にはすでに古参猫が3匹いて不可。
かといって庭のまみ一家とは犬猿の仲だからいつも1匹。

戦争孤児の少年のような背中を撫でながら、
この寂しがり屋の黒猫に何とかやすらぎと人の愛を
与えてやれたらいいなあと思います。
流れる雲を眺めながら、
どこかに引き受けてくださる優しい方がいらっしゃったら、
いいなあと思っているのです。   



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ボランティアの皆様、ありがとうございます。

大地震の日以来幾度も暴風雨に見舞われてきましたが、
26日目の5月10日も朝からどしゃ降りの熊本です。
傷だらけのこの地に「これでもか」というほどの雨が降り続けています。
傷口に塩、とは正にこのこと。
絶えることなき揺れに地盤のゆるんだ山はさらに崩れ、
傾いた家屋も叩きつける雨の重みで崩壊へと近づいていくのです。
「神も仏もありゃしない!」と、
東北大震災のときにさんざん叫んだのでしたが、
たかだか5年でまた叫ぶとは思いもしませんでした。
侮りがたし、自然の力。

ちょっとしたミス(といっても私には想像もつかなかった難問)で
管理ページにログインできなくなり、
前回以来3ヶ月近くもブログの更新ままならずに
ええい!もうこのまま止めてしまおう、と思っていたのです。
が、「こちら熊本!」と名乗っている以上
熊本が前代未聞の悲惨なことになっている今止めてしまうのでは、
あまりに無責任、というか、弱虫な感じもして、
ブログ再開に踏み切りました。
立ち寄って下さっている皆々様、
これからも何卒ご愛読よろしくお願いします。

再開第一回目は先の日曜日(5月8日母の日)、
熊本市内の災害ボランティアセンターで行われた
“くまモンとハイタッチ”イベントのご報告です。
地震が起きてから20日間活動を控えていたくまモンですが、
5月5日のこどもの日を機に活動再開、
避難所や介護施設や学校などの慰問に回っています。
8日、日曜日は、
ボランティアの申し込みにおいで下さったたくさんの皆様を
クマモンがお礼の意味を込めてハイタッチでお出迎えする20分間のイベント。
開始時間の朝10時前に現地に行くと、
早くも申し込みテントの下には長蛇の列ができていて、
不思議な熱気が生まれていました。

ボランティアの列


そこにくまモンが登場し声かけを始めます。

そこにくまモンが


幟を持ってハイタッチの準備をするくまモン。

感謝のサービス


ハイタッチの前にスタッフさんと記念写真。

記念写真1


こちらのスタッフさんともパチリ。いつも愛想の良いくまモン。

記念写真2


さあ、10時。ボランティア志願者さんたちとハイタッチの始まり始まり。

ハイタッチ1


がんばってください!よろしくね!

ハイタッチ2


怪我しないよう気を付けて!

ハイタッチ3


今日もたくさんの人が応援に来てくれて、
ボードには9時40分段階で470人受付、とあります。
ありがとうございます。
本当に頭が下がります。

今日のボード


行き先別にグループに別れ、説明を聞いておられた。

グループ分け説明


瓦礫の撤去、被災家屋の掃除、片付け、などに使う道具が山積み。

片付け道具


郊外の幹線道路やバイパス沿いのゲームセンター、
パチンコ屋、オートショップ、ショッピングセンターなどの前に
景観を凌辱するかのように多量に立てられている幟には反吐が出ますが、
こういう幟は必要ですね、
何せ目に付く必要がありますからね。

のぼり


ハイタッチの終わったくまモンの次なる仕事は応援シートへの書き込み作業。

サインとメッセージ1


秘書のおねえさんがシートのシワを伸ばしてくれる。

メッセージ2


くまモン、字が書けるんだ!

メッセージ4


一生懸命書いてます。

5


お次はボードにメッセージを。

 ボードにも1


一生懸命の後ろ姿にジワッ。

ボードにも2


「くまモン、見せて」と言ったら「はい」とこのポーズ。
え?イラストも? 上手じゃないですか?!

声を掛けたらにっこり


立ち去る前、ボランティアの皆さんにお礼を述べるくまモン。

ボランティアの方に挨拶


スタッフたちと別れの儀式と記念写真を。

スタッフを抱いて

スタッフと記念写真

スタッフ全員と


このあとの避難所行きに時間が押しているらしく、
走って車に向かうくまモン。

ここの仕事は終了


どことなくヘタッている感じですが。ごくろうさま!

お疲れさま



くまモンの賑わいが消えても忙しい受付作業です。

センターは引き続き


応援メッセージのシートがどんどん増えていく。

たくさんのメッセージが


今日は母の日。老人施設に持って行くカーネーションです。

カーネーションも



この日の申し込みはこのセンターだけで1000人近くあったそうです。
けれど、大型連休の終わった9日からは
ここだけでなく被災地各所で
ボランティアに参加する人が激減したと聞きました。
皆さん、学校や仕事に戻られたのだからしようのないことですが、
まだまだ熊本は復旧のめどが立ちません。
お城、南阿蘇村、水前寺公園、動物園、と
好きだったところがすべて壊れてしまいました。
被災家屋はそのまま残され、亡霊のように影を作ります。
避難所暮らしの方々もまだ数多くいらっしゃいます。
元気で体力のある皆様に
引き続きボランティア活動に参加していただけますよう、
ご支援いただけますよう、
心からお願い申しあげます。


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この冬の収穫

冬の畑の報告です。
暖冬だった12月はなかなか葉を巻かないキャベツにやきもきしたのですが、
年を越し寒さが厳しくなってきたら
なんとまあ、いじらしいこと、キュツ!・・・ときれいに結球しました。

キャベツ

しかし虫喰いは相変わらずで、
真冬でも虫は活動しているんですね。
知りませんでした。
緑色のどでかいウンチもごろごろある。
いったいどこまで喰い進んでいるんだろう。
これ以上収穫を伸ばせば葉が固くなるので
不気味でしたが思い切って刈りました。
包丁で結球している根元をザックリと株から切り離すのです。
虫の姿はあまり見ないようにして台所の流しに運び、
水を張ったボウルにざぶんと漬け・・・1時間ほどして取り出し、
穴だらけの葉を2枚剥がしたら、
ほら、こんなにきれいなキャベツです。

キャベツ


ボウルの中をよーく見る。
小さな虫たち(黒い虫、青いも虫、白いも虫)がたくさん溺死していました。
ごめんなさいね。

冬キャベツはくたくたになるまで煮込むと美味しいので、
寒いその夜はキャベツのコンソメスープを作りました。
キャベツ1個使いました。
他には固形スープの素にローリエ、黒粒胡椒。
1〜2時間ことこと煮込んで出来上がり・・・という簡単メニューですが、
やわらかい上品な甘さが実に美味しかった。
庭の恵みをしみじみ感じた。


小カブも最後の収穫になります。
早く食べたくて12月にあわてて採ったものは、
葉は立派でしたが、
かぶというか実というか、
つまり胚軸がまだ小さ過ぎて料理するには不都合でした。
で、残り4株はじっくりと寒さに当てて太らせることに。
そしてぐんと冷え込んだ日、
カブのスープをいただきたくなり収穫しました。

カブ

カブのスープの作り方はいろいろありますが、
この夜は長尾智子さんのレシピ「かぶの豆乳スープ」です。
塩とオリーブオイルでことこと煮て、
豆乳を加えてほんわかと煮るだけ。
これもとても美味しい。心身ともに温まります。
葉っぱは刻んでオリーブオイルで炒め、
刻んだ唐辛子とひとつまみの塩を加えて炒め、
お酒をチッ、醤油もチッ、と加え炒め、
熱々を炊きたてご飯に乗っけて食す。
小さな4つのカブだけで
充分幸福な冬の夜です。



或る日熊本にも雪が降り、畑もすっぽり白一色に。
あちこちに猫の足跡が望めます。

雪も降った


2階のベランダに積もった雪にも庭猫たちの足跡。
さすがの私もそれぞれの足跡の区別は付かないのですが、
小さめは母猫マミのではないかと・・・。

猫の足跡


雪も降ったし、
なれば甘味が増して美味しくなっているのでは、と、
数日後、
いちばん育ちの良く見えるダイコンを抜きました。
うちの畑のダイコン1番バッターです。
青首あたりまではすくすくと外に出ていたので
下ではどのくらい育っているのか、楽しみでしたが、
抜いてみると途中から二股に分かれて中途半端な大きさ!
でもちょいと色っぽいですね。
走る人にも見えなくもない。

ダイコン


さっそくむーたんが寄ってきて葉っぱを囓り始めた。
野菜好きな彼は
小松菜でも水菜でもホウレン草でも、
流しに置いてあるとバリバリ、あちこちかぢり散らすのです。
食べてもいいから
あちこちかぢるんじゃなく1つをきれいに食べてよね。

むーたんとダイコン


食べ終わって満足げな彼に聞いてみました。
うちのダイコン菜のお味はどう?

美味しかった?


「バッチリ!」だったみたいです。

バッチリ!


この夜は“ふろふき”にするにはサイズ不足のため
ステーキにしました。
誰のレシピだったかは忘れましたが
大根が半本くらい余っている時間のないとき
簡単で美味しいのでよく作ります。
3センチくらいに輪切りしたのを軽く蒸して
フライパンにゴマ油をひき両面焼き色がつくまで焼く。
醤油を回し入れ両面サッと焦がしてお皿に。
ゴマをふりかけ熱いうちに箸を付けると、
ペロッと食べてしまいます。
葉っぱはカブの葉と同じにやはり刻んでシャケのフレークを混ぜ、
柚胡椒を少し絡めたペペロンチーニのパスタにしていただきました。
このパスタは骨粗鬆症防止にそうとう良さそうだと自負しています。

キャベツもコカブもダイコンも
肥料も何も施さないでほったらかしていたのにこの恵み。
ありがたいことです。
今、枯れた様子の冬の畑では、
土の中で静かに少しずつ成長を続けるタマネギ、
遅すぎるとは思いつつも種が余っていたため12月に蒔いてしまい
成長の著しくおくれているホウレン草、
使う葉だけを切り取り株は残していた小松菜の若葉
(すると次々に新しい葉が下から育ってくるんですよ!)、
やはり株を残していた水菜の若葉、
切った根元から顔を出すフェンネルの若葉、
などが活気づいています。
もうすぐ今年の畑のための土起こしです。
春が近づいてきましたね。

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里親さんが決まりました!

前回、白い仔猫“やぎ”の「里親募集!」をしましたが、
おかげさまで養子縁組がまとまりました。
いえ、おかげさま・・・というのは本当じゃないな。
このブロクを見ての里親募集に関するお問い合わせは
実は一件もなかったので。
確かにやぎの状況は、
災害時取り残された犬猫のような緊切きわまる事態ではないし、
熊本市内、さらに他県から、わざわざ駆けつけるほどのことでもなく、
「けっきょくヨシモトさんちの猫になるに決まってる」的な見方が大方を占め、
難しいかなあ・・・とあきらめかけていた頃、
連絡先であるカフェ・オレンジのひさこさんから電話が掛かってきたのです。

なんと神はすぐそばにおいででした。
最近愛犬を亡くし
家の中にも心の中にもぽっかりと
大きな穴ができてしまったオレンジの常連さんが
ひさこさんに勧められるままブログを見て心が動き、
家に帰ってもう一度ご家族とブログ閲覧の上、決めてくれたというのです。
もう「万歳!」です。
その方はTさんという私も知っている女性なので様々なことで安心できるし、
さらに私は
Tさんの穴の空いた心にこの白い仔猫はとても“合う”と直感したのです。
人でも猫でもこの手の私の直感は今までのところハズレたことはありません。
なのでなんていいご縁だろうかと、
1週間後のお渡し日までやぎに「家猫作法」を特訓することにしました。

まだ庭暮らしのやぎはちょっと寂しげ。
とにかく部屋の中が気になるようで飽きることなく見続けます。

外にいたのが



12月5日・土曜日。家に入れる日です。
朝から2階のゲストルームを猫使用にセッティングしました。
それはこんな具合です。

捨て猫救出ボランティア活動をされているKさんからお借りしたケージに
箱に毛布を敷いて作った寝床を入れ、
壁際のヒーターそばに置いてそこをベッドルームとしました。
その前に120×120センチのパンチカーペット(安いやつ)を敷いて運動場に。
パンチカーペットは爪が適度に引っかかり
猫がジグザクに走り回るのに恰好の陸上トラックとなるので、
育ち盛りで見さかいなく走る仔猫と遊ぶとき、
畳やフローリングの傷つき防止に最適なのです。
そのうえ全面が爪研ぎ場でもあり、
粗相しても後始末が簡単で、
外で暮らしていた猫を室内に入れるときはかなり重宝します。
そこにオモチャを並べました。
猫にオモチャ?!と憤慨する方もおられますが、
オモチャは狩猟本能を研ぎ澄ますのに大切な役割を努めるので必要です。
たとえ室内飼いでもです。
壊されたり傷つけられて困るような物は場所を移すか押し入れに収納し、
ソファやベッドはボロ布で覆います。
仔猫の間は噛みつきイタズラが多いので、
その代替物に
食い破られてもかまわない古セーターや古タオルケットなどを1枚用意。
食器と水飲みボウルを置き、
トイレは、
部屋の中に入れたらしばらく様子を見て、
猫がそわそわし、うろうろし、
匂いを嗅いで腰を下ろし掛け・・・そうになったら
そこに急いで設置できるようあらかじめ猫砂を入れておきます。

これでまあ準備万端でしょうか。
もとスタイリストなので
こういう準備作業はオチャノコサイサイにやれてしまうのです。
昼下がり、
えっ?という顔のやぎを抱いて2階のゲストルームに入りました。


そして12月6日・日曜日。
家に入ってまる一日経ったやぎです。
いきなり深窓の令嬢風!

部屋の中


このコはほんとうにお利口で、
生まれてから(たぶん)ずっと外で暮らしていただろうに、
昨日は室内に入れられても動じる様子まったくなく、
ゆうゆうと部屋の隅々まで調査して、
気が済んだら運動場の真ん中に置かれた古セーターに突入し、
狂ったように遊び始めました。
トイレもすぐに習得したし、
眠くなったら自主的にケージに入って寝床についた。
これまでたくさんの猫と暮らしてきた人間ですが
この順応性には驚かされました。
「これは飼いやすい猫ですよ!」と
その場にはいないTさんに叫んだりして。

陽差しの差し込む部屋の中はあったかい!
白い猫の耳はことさら赤く燃え。
部屋に入れて良かったねえ。

あったかいな


偶然にできた“柵の上を歩いている猫”の影絵。
なにかしら幸せな構図・・・。

シルエット


おもちゃで遊ぶ練習も何の問題もなくクリアです。
よく遊びます。よく遊ぶ猫は頭の働きが活発な証拠。

オモチャまで



お渡し日の前日、
畑の助手である“編集女史”がやぎに会いに来ました。
するとこんな具合です。
初対面の相手の膝にもごく自然に乗っかれるのです。

膝にまで乗れて



庭のまみちゃん一家がいい例ですが
生粋のノラ生まれだったらこういうことはまずできません。
だからやぎは家猫の子供として生まれたのではないか・・・
それが乳離れあたりで捨てられて
その後一匹ノラとして生きてきたのではないか・・・
ゆえに大人猫が気になるし、人にも懐くのではないか・・・
などなど考えてしまいます。
小さい身ながら食べ物を探して
きつい毎日を過ごしたようですが、
これからは幸せな日々が待っているから、良かった、良かった。

家入りをして4日目には
ほら、どこからみても家猫になりました。

どこから見ても家猫



そして12月11日の嵐の夜、
やぎはTさんのお宅に行きました。
新しいお父さんにもお母さんにもすんなり馴染みました。
すでに「もみじ」という名が決めてありました。
えっ、白なのに、と驚くと、
亡くなった愛犬が「かえで」ちゃんだったから、という答え。
なるほどね。
もみじちゃん、本当の家族ができて良かったね!

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