>> EDIT

熊本市動植物園が部分開園しました!

地震で大きな被害を受け
やむなく休園を続けていた熊本市動植物園が、
2月25日土曜日、
比較的被害の少なかったエリアのみですが
およそ10ヶ月ぶりに開園されました。
さっそく行ってきましたよ。

今回再開されるのは園の南側、
小動物のふれあい広場や植物園の広がるゾーンで、
その東のはずれに位置するゾウ舎、キリン舎も含まれます。
多少の被害はあるにしてもゾウもキリンも元気とか。
やっと会えるね、と、はやる気持ちで動植物園の入口に立ちました。

でも、ほら。
いつもは子供たちが走り回って賑やかな正門前も
園内復旧工事のため今は閉ざされ“ひっそりかん”。

閉鎖中の正門



この部分開園は当面、
毎週土・日曜日と祝日に行われ、無料で入れます。
入園時間は午前9時から午後5時(入園は4時半)まで。
西門の復旧工事が終わる6月(あくまでも予定)までは
江津湖に面した南門と
画図橋そばの臨時門の2カ所からの入園となります。

それで園の東側の道を、
ちょうど園を迂回するような形で
江津湖に向かって進みました。
こういうルートで入園するのは初めてなのでわくわくします。
園をつつむ木立の向こうから
動物たちの鳴き声が聞こえ、獣の匂いが漂ってくるのを、
お酒の摘みのように愉しみながら歩きました。

脇の道から


すると、あ、キリン舎が見えるじゃないですか!
閉園中でもここに来ればキリンに会えたんですね。

キリン舎が見えた


春近い江津湖が現れました。
たくさんの水鳥がいてバード・ウォッチングの人も多かった。

春近い江津湖


南門入口のポスターです。

部分開園初日



ゾウのガイドが始まるところに間に合いました。
飼育員の北川さんがアフリカゾウの解説をしてくれます。
地震で運動場は約10センチ沈下して、壁にもヒビが入っています。

ゾウの竹割り


「ここにいる牙が長くて尻尾に毛のないがマリーで、
 牙が短く尻尾の先に毛がふさふさあるのがエリで、
 どちらも雌です」と北川さん。
2頭はお尻を見せるだけ。

エリとマリー



 野菜や果物が大好きですが、すぐに食べてしまうし、
 果物ばかりだと糖分が多すぎるので、干し草や竹も与えます。
 孟宗竹は好きなようで、たくさん食べますよ。
 ほとんどウンチになるんですけど、
 竹のいいところはそういう整腸作用もですが、
 食べるのに時間が掛かることです。
 いろいろ工夫していつまでも食べています」

太くて長い孟宗竹をバリバリと踏みつけたエリ、
短い牙をテコにしてバリンと折り曲げて、
鼻で巻いて口に運んで、お見事です。
煙を立てて割れた竹の青くさい匂いがモートを越えて漂ってきます。
ああ、動物園にいるんだなあ・・・という実感にひしひし浸れて幸福でした。

バリバリと竹割り

エリ、今度は鼻先利用して竹を細く裂いていく。
竹が鼻に刺さるとか切るとか、怪我しないのかな、と心配になりましたが、
そういえば一度ゾウの鼻に触ったことがあるのでした。
その皮膚の固さとそれを覆って生えている短く硬い毛には驚きました。
それを思い出して安心しました。 

鼻で上手に



「アフリカゾウはアジアゾウ共々生息数が激減して絶滅危惧種になっています。
 野生はもちろん世界の動物園の飼育下でも減り続けて、
 日本でも全国に30頭しかいません。
 九州でアフリカゾウを2頭見られるのはここだけになってしまいました」
と北川さんが教えて下さる。
思わず「繁殖の計画はないのですか?」と訊ねてしまいました。
計画はあるがゾウの繁殖は難しくて、
現在は人工受精の可能性を探っている段階というお答えでした。
うまく事が運ぶことを祈っています。

その先のキリン舎に行くと、
カシの葉の食事が終わったあとらしく柵には枝だけが残っていた。
ここには誕生日が私と同じ9歳のマサイキリン、リキ(雄)、
やはり9歳の小春(雌)、
2頭の子供で地震のあとに生まれた秋平(雄)、
そのひと月後に国内最高齢の22歳で死んだランとリキとの子供、
冬真(雄・1歳)の4頭が飼育されています。
マサイキリンも現在国内には11頭しかいない。
いっぺんに4頭見られるなんてここだけですね。

キリン4頭


これが去年の9月8日に生まれた秋平。
4月の地震のときは母親小春のお腹の中で、
飼育員の人たちは気を揉みましたが、
ポンと生まれたような気のする安産だったそうです。
生まれて1週間目のかわいい姿が新聞に載りました。
見に行きたくてジリジリしたことを覚えています。

秋平


これが母親の小春です。色が白く美形です。

小春


父親リキと息子の秋平。
生まれたときは170センチほどだった秋平も早3メートルの大男に。
それでもリキと並ぶとまだまだ小さい坊や。

父と息子


冬真と秋平の仲良し異母兄弟。いつも一緒。

冬真と秋平


けれど雄同士の縄張り争いを避けるため、
冬真は年内に他の動物園へ移るそうです。
仲のいいツーショットも、
4頭そろい踏みの光景も、
部分開園中の今だけと聞きました。
また来なくては!

ゾウ舎、キリン舎に別れを告げて、
久しぶりだからと植物ゾーンをぶらぶらすると、
肥後百花苑のエリアで
やっと梅の花がほころび始めていました。

梅も咲いていました


10月には正門が復旧予定だそうです。
するとペンギンやシフゾウなどが見られます。
すべての動物を公開できる全面再開は来年4月を予定とのことで、
早くそうなるようにと、
帰りの南門で受け付けている「復興応援サポーター」に登録して
わずかですが支援金をお渡ししました。
何しろ園の受けた被害の総額たるや9億円近いのです。
これまでは日本動物園水族館協会を通しての支援金で、
もちろんそれも動物たちの餌代に使われたのだから不満はないのですが、
何としても直にお渡ししたいと思っていたので、
このサポーター制度は願ってもないことでした。
5千円以上寄付した個人と、2万円以上の団体には、
公開休止エリアの見学会や
バックヤードツアーなどの特典が用意されているのも嬉しいことです。

4月には市の「動植物園復興委員会」に参加させてもらって
雑誌クレアの「するめ基金」の一部をお渡しする予定です。
クレア読者の皆さんからいただいた貴重なお金がムダにならないよう
使い道を直接動植物園にお願いできるのを嬉しく思います。

春の訪れとともに、
長いこと眠っていた動物園に行く楽しみが
じわじわと蘇ってきた週末でした。





| 未分類 | 20:36 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

>> EDIT

大西市長に会えました!

2ヶ月前からなぜかブログ更新不可になり(管理ページにログインできない)、
その復旧作業を足りない頭で探っていくうちどんどん傷口を深めてしまい、
自分にブログは難しすぎる、もうやめよう、と、ほとんどあきらめて、
最後の最後、念のため、知人にSOSを出してみたところ、
何とかログイン、
やっとのことブログ再開の運びになりました。

それで取り急ぎ、
CREA〈するめ基金〉にご寄付いただいた方々に
先月12月15日、熊本市長の大西一史さんにお会いできたことを
ご報告したいと思います。

〈するめ基金〉とは、このブログの前回にも書いていますが、雑誌CREAを通して行っている
「平成28年熊本地震」被災地への支援金募集活動です。集まった貴重なお金を有意義に
使うため、「東京するめクラブ」村上春樹・都築響一・吉本由美の3名およびCREA編集部を
中心に“するめを噛むみたいにじっくりたゆまず進めていく支援法”を探っています。
 
大西市長にはだいぶ前からお会いできたらと思っていたのです。
集まった支援金の使い道のご相談をしたかったから。

〈するめ基金〉にご協力いただいた皆さまの
その貴重なお金を無駄にしないよう、
私たちするめ側は、
できるだけ公的援助からはずれてしまったところに使いたい
と考えてきました。
大まかに言うと、
春樹さんは「夏目漱石旧居の修復」、
私ヨシモトは「熊本市動植物園」の復旧復興および被災動物支援団体の援助、
(都築響一氏の支援対象はまだ未定)
を考えているのですが、
でもその受付窓口がわからずに困っていたのです。

それで大西市長に目を付けました。
というのも、実は昨年の夏、
「ピーター・バラカン出前DJ」のライブ会場でお見かけして、
この人なら話が通じると感じたからです。
動物園も漱石旧居も市の管轄ですからね。
大西さんはドラムを叩かれるらしく
ピーターさんともお知り合いのようでした。
私の後ろの席に座っていらしたのですが、
ごくごく気楽に話しかけられそうな雰囲気でした。
でも、しかし、
プライベートな時間に支援金話はさすがに無粋すぎると我慢しました。

それが、思いもしない方向から後押しが入ったのです。
10月、長年の友である“手相観”の日笠雅水さんから
「29日熊本城でハマちゃんのライブがあって
 そこに大西市長も出るから行ってみて」というメールが来たのです。
詳しく書くと、
熊本を励まそうとハマちゃん(ミュージシャンの浜崎貴司さん)が
長らくやってきた弾き語りイベント・GACHI(ガチ)を10月29日熊本城二の丸広場で
無料ライブ開催するのだけど、そこに大西市長がドラマーとして特別出演する。
だからユミちゃん見に行って、楽屋までハマちゃんに会いに行って、
そこで大西さんを紹介して貰えばいいと思う。
大西さんには私からユミちゃん行くって連絡しとく・・・ということでした。

日笠雅水さんは“手相観”の前はYMOのマネージャーをしていて
ミュージシャンの友だちが多く、ハマちゃんこと浜崎貴司さんもその一人。
で、今回、ハマちゃん経由で大西市長とツイート仲間になったらしい。

ハマちゃんは私がバーテンダー修業をしていた恵比寿のバー「モーヴ」に
ときどきフラッと飲みに来ていたお客さんでもあり、
大好きな曲♪ウィスキーはお好きでしょ♪♪♪の作り手でもあるし、
大西さんを紹介して貰えるなら一石二鳥、
これは行かねばならぬ、行かねばならぬ〜、と
きらきらと透き通った秋の陽差しが眩しい土曜日の午後、
熊本城二の丸広場まで行きました。
もちろんステージは
ハマちゃんと、齋藤和義、吉井和哉、トータス松本、藤原さくら
という面々の弾き語り合戦でノリノリです。
最後に大西市長がドラマーとして登場して
これ以上はないくらいに盛りあがり、素晴らしいひとときとなりましたが、
何しろすごい人の数でぼやっとしたおばさんは楽屋には行き着けず、
結局この日も大西さんとはお会いできずとなったのでした。

しかし、ま〜こ(日笠雅水)の尽力で
後日連絡取り合うことができ、
めでたく12月15日、市役所まで伺って会えました。
そしてやはり話の通じる市長さん、と思う。
あるいは話の早い市長さん、とも。
そもそも大西さん、
若いときは東京でミュージシャンになろうかと考えたこともあったそうで、
もとからの役所畑の人ではないから普通の言葉で喋れるのですね。
動物園の支援申し出、喜んでくれました。
そして、ただお金を出せばすぐにどうなるということではないから、
ここはじっくりと長い目で見ていきたい・・・とおっしゃいました。
御意! もちろんです。
互いの思いは近いようで、合意は簡単に結べました。
まず「動植物園復興委員会」みたいなものを立ち上げて、
復旧するだけでなくこの先の動物園のあり方まで含めた復興を考える。
その委員会のメンバーに
「ヨシモトさんも加わってアイデアを出してもらえれば」とおっしゃるので
「ぜひぜひぜひー!」と手を挙げました。
動物園の動物たちの役に立てるなんて願ってもないことですから。
人の役には立てないのでせめて動物の役にくらいは立ちたいのです。

動植物園は、取り敢えず2月から、
ゾウやキリン、ヒツジやモルモットなどの
比較的被害の少なかったエリアを一部再開するそうですよ。

次に夏目漱石旧居の修復を支援したいがどうすればいいか。
第三旧居と第五旧居は熊本市の所有ですが、
窓口が「熊本市文化財保存修復基金」で、
そこに寄付しても他に回る可能性もあり、
漱石邸に使うという約束は難しいとのこと。
特に、春樹さんが支援したがっている第六旧居は個人所有で
市は手が出せないという話でした。
かといって
個人宅に直接お金を渡すということは避けたいので、
動植物園のように「漱石旧居復旧委員会」を作るというのも
一つの手段かもしれません。
焦らずじっくり長いスパンでやっていくしかないですね。
大西市長も「長い目でご支援いただければと思ってます!」
とおっしゃっていました。

以上、目からウロコの解決法が見つかったわけじゃないですが、
大西市長とお会いして繋がりができたことは、
これからのことを考えていく上で
心強い羅針盤となったと思います。

大西市長と



| 未分類 | 05:05 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

>> EDIT

「東京するめクラブ」熊本再訪記事の予告編

ほぼ2ヶ月前の9月6日から9日までの4日間、
「東京するめクラブ」が熊本に集まって
チャリティー・イベントを開催しました。
これはそのご報告(の予告編)です。

クラブと言ってもメンバーは
村上春樹、都築響一、吉本由美のたった3人きりで、
発足したのが2002年。
それぞれふだんはまったく異なる世界に生きているのですが、
何か面白いことをやりたいときにユニットを組もうという仲間です。
名付け親は春樹さんで、その心は
「たいしたもんじゃないですけど、くちゃくちゃ噛んでいるうちに、
なんかそれなりの味が出てくるのでは・・・」
という観点から付けてみたという話。
で、2002年から2004年までの2年間、
3人でちょっと変なところへ行って、ちょっと変なものを見て回る・・・
という旅をしました。
行き先は、名古屋、熱海、ハワイ、江ノ島、サハリン、清里。
つまり、
すごい変なところではなく“ちょっと変なところ”というのがミソなのです。
この旅行記は2年にわたり雑誌『タイトル』に連載されました。
(その後『東京するめクラブ 地球のはぐれ方』という単行本に)

あれーっ、またまた前置きが長くなりつつありますね。す、すみません!!
でもまだ続けさせてくださいませね。

それでです、2011年、私が東京を去ることになり、
こじんまりと「するめお別れ会」をやってもらいました。
そのとき、機会があったらまた何かやろう、という話が出て、
そうだねえ、なんてお気楽に構えていたら、
なんと去年、まさかの来熊提案が!
なんで熊本に来るかア、と初めは二の足踏んだ私。
けれどよくよく考えてみますれば、
“ちょっと変なところ”は
名古屋には負けるにしても熊本にもいろいろあるなと思い直し、
得意のツアコン魂を発揮して
するめに相応しい場所をあれこれセッティング。
そして6月に集合し、
私が案内、春樹さんが取材、響ちゃんが写真、という役割分担で
熊本近郊(市内〜荒尾〜人吉〜津奈木〜日奈久〜八代〜阿蘇)を
歩き回るという旅をした。
その探訪記は雑誌『クレア』9月号に発表されました。
(後に村上春樹紀行文集『ラオスにいったい何があるというんですか?』に収録)

長い前置きはやっと終わり、ここからが本番です。
熊本大地震が起きたのはその10ヶ月後のことでした。
一応被災者だった私は自分や周りのことで手一杯頭一杯でしたが、
間を置かずに、春樹さん、響ちゃん、クレアのみなさんの“チーム東京”が
「CREA〈するめ基金〉熊本」を立ち上げてくれた。
すると全国から温かいご支援を得て多くの寄付金が集まりました。
びっくりするほどの金額です。
最近流行ってる言い方で言えば、ありがたいのひと言です。
で、その大切なお金をどう有効的に使うか、の相談のためと、
昨年回った場所がどういう被害を受けているかの確認のため、
再度“チーム東京”のみなさんのご来熊が計画されました。
そしてせっかくだから熊本でもう一度“朗読&トーク”をやって、
〈するめ基金〉に寄与するというチャリティー・イベントが企画されました。
今回はお金を集めるのが目的なので、
昨年橙書店でやったようなこじんまりとした集まりではなく、
たくさんの人にお出でいただく必要があります。
入場料金が安価なので
少なくとも200人以上の方々にはお越しいただきたいわけで、
クレアウェブで全国からのご参加を募りました。
場所は、
地震の前まで演劇、ダンス、講演会などが催されていた
元は醸造所だったという「早川倉庫」を選びました。
明治10年建築という古い建物ですが、
さすがに倉庫だけあって頑丈です。
あの大揺れにも一部を損壊だけでしっかり生き残っているのですから
すごいことです。
イベントは
★村上春樹の自作朗読
★都築響一の九州珍スポット秘話
★するめ3名のスペシャルトーク
という内容。
トーク? かなり人前嫌いになっている私は、
何を話せばいいの?何もないよ、と申し立てたら、
「隣に座っていればいい」とのことなので、
取り敢えずツアコン業務を引き受けたという次第です。

さて初日の9月6日。
昨年同様今年もみなさん(春樹さん、響ちゃん、担当編集者の竹田さん)
空港からウチへ直行なさった。
ワインで再会を祝したあと、
微々たるものでしたがウチの被災状況を見てもらいました。
写真はその途中のキッチンで、
響ちゃん撮影の春樹さんとすみれのツーショットです。
ちょっと緊張気味なすみれ。

すみれ&春樹さん


ホテルに荷物を置いてまずは新市街玉屋通りの「橙書店/オレンジ」へ。
一応営業していますが古い長屋形式の店舗の被害は大きくて、
壁のあちこちにひび割れが。
私は心配で、口を酸っぱくして「引っ越した方がいい」と
店主のひさこさんに言い続けたものです。
(現在は新店舗に移転したので安心)
店の看板猫しらたまは
地震のあと神経過敏になって家に引っ込んでいましたが、
今日は春樹さんが来ると言うことで特別出勤してくれました。
熊本発の文芸誌「アルテリ」の前で。 

しらたま



7日の二日目は白川に近い北千反畑町の「漱石第六の旧居」に行きました。
夏目漱石は熊本時代6回も引っ越しをしていて、
この個性的な門構えの
庭に大きな芭蕉の樹がある二階建ての木造家屋が
熊本最後の住まいになります。
実は地震直後、
竹田さんが心配して様子を見に来熊されて、
そのとき私もこのお宅を訪ねました。
築120年は経っている家屋だから無事であるはずがないと
恐る恐るの気持ちでお伺いしたわけですが、
家はちゃんと建っていました。
 
漱石旧居門



ただし家の中はやはり見るも無惨というか、
あちらこちらで壁が崩れたり瓦が落ちたり歪んだりして、
お見舞いの言葉が止むことはありませんでした。
今度はその日から4ヶ月ほど経っての再訪ですが、
大きな余震が長く続いたせいかさらに被害度は増していて、
壁のひび割れや崩れ方が大きくなっていた。
持ち主のご姉妹も先々の管理は荷が重いとお困りの様子でした。
建物の説明に来て下さった日本文藝家協会の中村青史先生の話に
耳を傾ける春樹さん。

旧居2階



次に熊本城へ行きました。
城内へは一般の人は入れないのですが今回は特別に許可を得て、
熊本城総合事務所の梅田雄介さんに案内していただきました。
天守閣からもっとも離れた城への入口櫨方門の手前にある
備前堀の美しい眺めが好きで、
お城へ行くときは必ずここからスタートしたものです。
これは1年前の景色。

地震前の濠



それがこんな具合になっていました。

地震のあとの濠



まるで爆弾を投下されたあとのような破壊のされ方です。

破壊された石垣



長塀も歪んで見ているだけでくらくらしました。 

塀も歪み



モノトーンで直線的でダンディーだった宇土櫓でしたが・・・

地震前の天守閣



今やこの惨状・・・悲しい。

地震のあとの天守閣風景


天守閣床下の空洞を撮影する都築カメラマン

天守閣の石垣も崩れ



天守閣の屋根瓦の崩落に次いで話題になったのが、
石垣がほとんど崩れ落ち
たった1本の石垣に支えられている飯田丸五階櫓の様子でした。
その“飯田丸五階櫓の倒壊を防ぐ工事”のための
応急工事として設けられた鉄骨の架台について
梅田さんから説明を受ける春樹さん。
「一本石垣」も涙が出るほどひたむきでいじらしけれど、
ほとんど宙に浮いている櫓を抱え込む架台を作る、という発想をして
それを実現させた人間の力にも感動しました。

一本石垣の応急工事



滞在三日目の8日。
本日はメインイベント、
午後7時にチャリティー・トークが予定されています。
朝は街を歩きました。
まだあちこちにシャッターを降ろしたままの店舗があります。
一見何でもないようでも“赤紙”が貼られて、
古いビルは内部崩壊が激しいですね。
知っている店舗が何軒も休業に追い込まれました。
本屋さんのシャッターに貼られた励ましのメッセージを読む都築響一氏。

閉店中の本屋さん前



午後6時。イベント会場の開場時間です。
午後1時にはもう並んでいる人がいた、という情報を聞いて、
さすが“ムラカミハルキ”だなあと感心した・・・というか驚きました。
ファンが熱いですね!
会場入口に出された案内ポスターの
するめと3人のイラストおよび書き文字は
発足時から担当してくれた今は亡き安西水丸画伯の作品です。
思えば水丸さんは“4番目のするめ”でした。
 
イベント看板



熊本の9月はほとんど真夏なのでうちわもお一人様に1つ用意しました。

サービスうちわ




午後7時。いよいよイベントの開始です。
250に近い人たちにいっせいに注目されて春樹さんの朗読が始まります。
倉庫内の薄暗い空気の中に通りの良い声で
書き手本人によるお話しが紡ぎ出されていくひととき・・・
いやあ、いい感じです。
(あー、わたしトーク出たくない。人前で喋るの苦手。だいたい喋ることがないんだし)
と左半分の私は悶えていますが、
右半分の私は話に引き込まれ、聞き惚れている。
ムラカミハルキの朗読を聞けることなんて、日本ではあまりないですからね。
この夜は2つの短編を2016年バージョンで語ってくれました。
静かなお話しでしたが会場内は熱気むんむん。

101-_DSC3090.jpg



次に都築響一「九州珍スポット秘話」トークが始まります。
彼が九州の片隅で見つけた
最高に可笑しく面白く可愛らしい5、6の秘話が
スライドに乗って語られました。
会場のみなさんの99パーセントは
ムラカミハルキの話を聞きにいらしてるわけで、
本当は響ちゃんの持ち時間も春樹さんに当ててもらいたい・・・
と願われているのは
響ちゃんだけでなく誰もがわかっていることでしたが、
あに図らんや、会場は爆笑の渦となり響一話に釘付け状態。
「静」と「動」の個性際だつステージとなった次第です。
最後の3人スペシャルトークは、
“隣に座っているだけでいい”という2人の言葉を信じて
私は極力「はい」「いいえ」だけで耐えました。
するとあっという間に2時間越えておひらきの時間となり、
やれやれです。
人前はほんとに苦手。
一対一なら何時間でも語り明かせるんだけれど。

この熊本再訪の話は春樹さんの手で11月7日発売のクレアに、
“「東京するめクラブ」より、熊本再訪のご報告”
というタイトルで掲載されます。
私の目で見た4日間がクレアでは春樹さんの視線で書かれています。
もちろんそちらの方が、
同じ四日間が思慮深く意味深く読み応えあるってことは知れたことで、
ぜひ手に取って読んでくださいという、
これはその予告編であり、
本編では語られない裏話でもあります。

〈するめ基金〉の寄付受付は年末まで続きます。
詳細は http://creabunshun.jp/ をご覧下さい。
集まったお金の使い道は年が明けてから決めることになります。
3人それぞれに支援したいいくつかの場所があるので、
みなで膝をつき合わせ考えたいと思っています。


| 未分類 | 07:29 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

>> EDIT

近況報告”畑と番猫”

8月24日未明に起きたイタリア中部の大地震、
凄まじい傷跡を残しましたね。
耐震工事のなされていない古い建物ばかりだったとはいえ、
町が丸ごとごっそりと崩れ落ちている光景は、
津波のあのときの映像の衝撃には劣るにしても息をのみました。
1日に100幾つもの余震があったと聞き、やはりと頷きました、
大揺れに叫びながら家から飛び出してくる家族の姿をニュースで見て、
人ごとではなく心臓が縮み上がる思いでした。

熊本は今も依然揺れが続いています。
8月20日の段階で震度1以上の地震の回数が
前震の起きた4月14日以降2000回に達した・・そうで、
ギネスものです。
良くないことですけれどもだんだん慣れてきて、
多少の揺れには動じなくなりました。
大地震から4ヶ月半経ったのだから
もうあれだけ大きいものは来ないんじゃないかと、
甘いかも・・・ですが思い始めて、
先日、念のために梱包していた
割れやすい器やグラス類の紐を解いて食器棚に戻しました。
倒れた花瓶の水や仏壇から落ちた線香立ての飛び散った灰で
床が大変なことになったのに懲りて、
夜寝るときはそれらを箱に収め床に置くのが習慣になっていたのですが、
花瓶も線香立ても箱を出て、
いつものあるべき場所にあるようになりました。
ゆっくりと日常に戻りつつあります。

なんて言うと、
まだ避難所で生活されている方々や
暮らしを立て直すことが困難な方々に申しわけなく、気がふさぎます。
被災ペットの収容が限界を超えたとか、
動物園は再開のめども立たないなどと
気がかりなことの解決もほど遠く、
復旧復興はまだまだ道半ばで怒りのようなものが湧き上がります。
しかし取り敢えずここでは脳天気に、
そういう6月から8月の近況を報告させてください。

地震後はほとんどやる気の起こらなかった畑作業でした。
けれど、畑の助手である編集女史にお尻を叩かれ、
渋々ながら5月半ばに耕して、
ぎりぎりでしたが下旬には苗をひと揃い植えつけました。
下の写真はそれからひと月ほど経った6月半ばの畑です。
梅雨に入り土は黒々、
枝葉はにょきにょき育っているけれど、
まだすっきりした様子です。

夏の畑2


去年初めて挑戦した“夏の畑”は初心者が陥りやすい失敗
─植え過ぎたため風通しが悪くなり虫が付き実が喰われる─を
見事に踏襲し、ひどいことになったのでした。
同じ轍は二度と踏まない決意で
今年の苗は種類も数もぐううんと絞った。
だからすっきり風通しの良い畑となったと思います。
今年は大好きな水前寺菜も植えてみました! 

水前寺菜

熊本特産の水前寺菜は、
新芽は生でサラダに、
育ったものは湯がいてお浸し、酢の物にしていただいています。
独特の青臭い匂いと味は時間の経過と共に薄らいでいくので、
毎日少しづつ採り立てを食べられたら幸せだと
探し回って見つけた苗でした。
なのに店の人は「水前寺菜は葉っぱを水に差すとすぐに根が出ますよ。
それを植えたら簡単に育つし」という意外な、
というか水を差すようなアドバイスをする。
わざわざここまで来ることはなかったということなのか。


香菜だけは雨除け風除け虫除け猫除けにネットを被せました。

コリアンダー
コリアンダー


ネットのトンネルは見た目が悪いけれど、
種蒔きなのでしばらくはひ弱な幼葉状態が続き、
その間ネットは必要になります。
東京ではネットなしのベランダ栽培を試みましたが
見事に風にやられました。
香菜は私の食卓には需要度の高いハーブ。
残念ながら熊本には常時扱っている店が少なく、
マイ畑での収穫に賭けに出たというわけなのです。


早くも実が付き色づき始めているこのトマト、
実は去年育てたトマトのこぼれ種から自力で育った頑張り屋です。

去年のトマト


連作になるので味は落ちるかも知れませんが、
自力でここまで育っているのをそう邪険には出来ませんものね。
それで少しでも健やかに育つようにと、
この古株と今年購入のミニトマトの苗との間に
トマトのコンパニオンプランツであるバジルを育てています。

バジル


コンパニオンプランツというのは
近くに植えることで互いに虫除け効果が出る(といわれる)
植物同士のことです。
去年の虫喰いはひどかったので神頼み的に植えてみました。


6月半ばから7月半ばまで熊本には雨が降り続きました。
梅雨だから仕方ないとはいえ
毎日毎日ザーザーザーザー・・・呆れるほどに降りました。
庭やテラスのあちこちに茸が生え、
部屋のあちこちにも黴が生えました。
その間、もちろん畑仕事なんぞできません。
プロの農家さんなら
たとえ雨でも畑に出て作業されるのだろうけれど、
こちとら素人、それも超軟弱なオバサンであり、
雨の中の農作業など夢にも思わぬことなのです。

後に激甚災害に指定されたその豪雨は7月15日まで続き、
翌日パタッと梅雨明けを迎え、
それからいきなり
35度にもなろうかという猛暑の毎日が始まりました。
雨の日も畑作業は嫌でしたが、
猛暑日も負けず劣らず嫌に決まっています。
様々な理由を探して畑の手入れをグズグズ延ばします。

8月になると気温はさらに上がって36〜38度の連チャンとなり、
それはもう、暑いから嫌なんて段階でなく、
日中外で作業をすると死ぬかも知れないことになり、
これまた当然、
畑作業は放っぽらかしのままってことになったのです。
毎朝毎夕、部屋の中から、
雑草で混み合っていくマイ畑の混乱を眺めるだけでした。

これが8月20日の畑のボーボーたる様子です。
黄色いパプリカが見え隠れします。
よくよく見れば虫に喰われまくっていた。哀しい。

今やボーボー


畑入口すぐ右の去年のこぼれ種から育ったトマトにも
たくさん実が付いているけれど、ほとんど虫に喰われている。
バジル効果まったくなし・・・というか、
バジル自体が原型を留めないまでに虫に喰われているんだもの、
・・・ったく、用をなさないとはこのことです。

フェンスの中は無法地帯

この“マイ畑の崩壊”については
9月下旬発売の季刊誌『九州の食卓』秋号にも詳しく書きました。
よろしかったら読んで下さい。


さて、うちの玄関前で置物のようになっているこの黒猫は誰でしょう。

P1090654.jpg

地震から10日ほど過ぎた頃、
見慣れぬ黒猫が庭に頻繁に現れるようになりました。
庭猫まみ一家のご飯を狙ってしつこいヤーサンのように
何度も何度も“黒い稲妻”的に襲撃して来ます。
そのたび激しいバトルとなりわあわあぎゃあぎゃあ大変な騒ぎ。
今にご近所から苦情が来るのではないかと
毎晩ハラハラさせられて体に悪いし、
もうこれ以上猫の世話は増やさないつもりでしたが仕方ありません、
黒猫にもきちんとしたねぐらと食事を与えようと決めました。

庭のまみ一家からなるべく離していたいので、
表の玄関脇の車庫の中を使うことにして、
テラスをうろつくヤツにお皿とドライフードの袋を見せ
「こっちだよ」と表のほうへ誘導すると、
たちの悪い無法者かと思っていましたが、
意外やものわかり良い表情(そう見えた)になり、
犬のように脇に付いて来るのです。
トットットッと、
嬉しいときのいわゆるトロットで私に添うように歩いている。
そのとき初めて全身を見ましたが、
まだまだ小ぶりで、若いようでした。

車庫の中に皿を置きカリカリを入れると、
小さな黒い頭を左右に揺すりながら一生懸命食べるのです。
いつもは盗み食いだからガツガツと焦って、
たぶん食べた心地はしなかったのではないでしょうか。
食べ終わると私を見上げ、
正気に戻ったようにサッと後ろに身を引きます。
そのとき右目から血のような液体が流れているのがわかりました。
涎も出ているので口の中にも傷があるのかも知れません。
どら、見せてごらん、と、
手を伸ばすと後ずさりするので触れませんが、
でもすぐに近づいて来るのでどこかしら触れ合いを求めている様子。
生粋のノラではないようです。
毛並みも艶やかだし、
飼い猫か地域猫だったのかも知れません。
居場所に異変があったのか、
パニックで外に逃げ出し行方不明になったのか。
目の怪我はその途中に負ったのか。
どうやら地震の被災猫のようで、
すると急にいじらしくなり、
家なき猫の問題が生じたときはいつも協力していただく
猫ボランティアさんに相談しました。
市の動物愛護センターに問い合わせたり
ネットの行方不明猫掲示板のチェックもしましたが、
それらしき「探してます!」は見つからなかった。
では、ということで7月4日捕獲して、
猫ボランティアさんに動物病院へ運んでもらい、
去勢手術と血液検査と目と口の中の怪我の処置を頼みました。

で、今こうして、堂々の車庫の住人として暮らしています。

クモスケです


車庫にいるから“雲助”と呼んでいます。
駕篭担ぎの“雲助”です。
玄関から出たり、外から帰ってきたりすると、
いつも車庫から半分だけ顔を覗かせて「みゃは」と啼きます。
それが「駕篭ですか?」と言っているようで笑えます。

玄関前で番をするのもお気に入り。
こうしたり・・・

番猫


こうもしたり・・・して、番猫を勤めています。
但し人が来ると真っ先に姿を消しますが。

いつもこんなで


いつも玄関前にいるので
表を通る人が「あら、黒ちゃんが」とか声を掛け覗かれていきます。
近くの大学の学生たちも「いるいる」と笑って指差して行く。
目立ち過ぎるのでときどき「ハウス!」と命令することもあります。
するとスゴスゴと車庫に戻る。犬みたいに!!!

ハウスと言うと


うちに来て約4ヶ月。
車庫の住人としてすっかり落ち着いた雲助でござります。

車庫に戻って

やはり右目は傷ついていました。
きらきらした涙目を毎日ティッシュで拭いてやってます。
歯並びの悪い“ぶおとこ”ですが
そのせいかこざっぱりした顔になりました。
毎日一度は体ぜんたいをマッサージしてやります。
すると仰向けにひっくり返えり
フナムシのように両手両足を上げてわいわいするので
お腹も撫でてやります。
それが嬉しくて仕方ないようで、
私の手を両手で抱いたり甘噛みしたりします。
決して痛くしたり傷つけたりはしないので、
やはり生粋のノラではないと思われます。
とても人懐っこいのです。
車庫を出ようとすると「シャー」と言って足にしがみつく。
寂しがり屋でもあるらしい。
家猫にしてやりたいけれど、
家にはすでに古参猫が3匹いて不可。
かといって庭のまみ一家とは犬猿の仲だからいつも1匹。

戦争孤児の少年のような背中を撫でながら、
この寂しがり屋の黒猫に何とかやすらぎと人の愛を
与えてやれたらいいなあと思います。
流れる雲を眺めながら、
どこかに引き受けてくださる優しい方がいらっしゃったら、
いいなあと思っているのです。   



| 未分類 | 04:08 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

>> EDIT

ボランティアの皆様、ありがとうございます。

大地震の日以来幾度も暴風雨に見舞われてきましたが、
26日目の5月10日も朝からどしゃ降りの熊本です。
傷だらけのこの地に「これでもか」というほどの雨が降り続けています。
傷口に塩、とは正にこのこと。
絶えることなき揺れに地盤のゆるんだ山はさらに崩れ、
傾いた家屋も叩きつける雨の重みで崩壊へと近づいていくのです。
「神も仏もありゃしない!」と、
東北大震災のときにさんざん叫んだのでしたが、
たかだか5年でまた叫ぶとは思いもしませんでした。
侮りがたし、自然の力。

ちょっとしたミス(といっても私には想像もつかなかった難問)で
管理ページにログインできなくなり、
前回以来3ヶ月近くもブログの更新ままならずに
ええい!もうこのまま止めてしまおう、と思っていたのです。
が、「こちら熊本!」と名乗っている以上
熊本が前代未聞の悲惨なことになっている今止めてしまうのでは、
あまりに無責任、というか、弱虫な感じもして、
ブログ再開に踏み切りました。
立ち寄って下さっている皆々様、
これからも何卒ご愛読よろしくお願いします。

再開第一回目は先の日曜日(5月8日母の日)、
熊本市内の災害ボランティアセンターで行われた
“くまモンとハイタッチ”イベントのご報告です。
地震が起きてから20日間活動を控えていたくまモンですが、
5月5日のこどもの日を機に活動再開、
避難所や介護施設や学校などの慰問に回っています。
8日、日曜日は、
ボランティアの申し込みにおいで下さったたくさんの皆様を
クマモンがお礼の意味を込めてハイタッチでお出迎えする20分間のイベント。
開始時間の朝10時前に現地に行くと、
早くも申し込みテントの下には長蛇の列ができていて、
不思議な熱気が生まれていました。

ボランティアの列


そこにくまモンが登場し声かけを始めます。

そこにくまモンが


幟を持ってハイタッチの準備をするくまモン。

感謝のサービス


ハイタッチの前にスタッフさんと記念写真。

記念写真1


こちらのスタッフさんともパチリ。いつも愛想の良いくまモン。

記念写真2


さあ、10時。ボランティア志願者さんたちとハイタッチの始まり始まり。

ハイタッチ1


がんばってください!よろしくね!

ハイタッチ2


怪我しないよう気を付けて!

ハイタッチ3


今日もたくさんの人が応援に来てくれて、
ボードには9時40分段階で470人受付、とあります。
ありがとうございます。
本当に頭が下がります。

今日のボード


行き先別にグループに別れ、説明を聞いておられた。

グループ分け説明


瓦礫の撤去、被災家屋の掃除、片付け、などに使う道具が山積み。

片付け道具


郊外の幹線道路やバイパス沿いのゲームセンター、
パチンコ屋、オートショップ、ショッピングセンターなどの前に
景観を凌辱するかのように多量に立てられている幟には反吐が出ますが、
こういう幟は必要ですね、
何せ目に付く必要がありますからね。

のぼり


ハイタッチの終わったくまモンの次なる仕事は応援シートへの書き込み作業。

サインとメッセージ1


秘書のおねえさんがシートのシワを伸ばしてくれる。

メッセージ2


くまモン、字が書けるんだ!

メッセージ4


一生懸命書いてます。

5


お次はボードにメッセージを。

 ボードにも1


一生懸命の後ろ姿にジワッ。

ボードにも2


「くまモン、見せて」と言ったら「はい」とこのポーズ。
え?イラストも? 上手じゃないですか?!

声を掛けたらにっこり


立ち去る前、ボランティアの皆さんにお礼を述べるくまモン。

ボランティアの方に挨拶


スタッフたちと別れの儀式と記念写真を。

スタッフを抱いて

スタッフと記念写真

スタッフ全員と


このあとの避難所行きに時間が押しているらしく、
走って車に向かうくまモン。

ここの仕事は終了


どことなくヘタッている感じですが。ごくろうさま!

お疲れさま



くまモンの賑わいが消えても忙しい受付作業です。

センターは引き続き


応援メッセージのシートがどんどん増えていく。

たくさんのメッセージが


今日は母の日。老人施設に持って行くカーネーションです。

カーネーションも



この日の申し込みはこのセンターだけで1000人近くあったそうです。
けれど、大型連休の終わった9日からは
ここだけでなく被災地各所で
ボランティアに参加する人が激減したと聞きました。
皆さん、学校や仕事に戻られたのだからしようのないことですが、
まだまだ熊本は復旧のめどが立ちません。
お城、南阿蘇村、水前寺公園、動物園、と
好きだったところがすべて壊れてしまいました。
被災家屋はそのまま残され、亡霊のように影を作ります。
避難所暮らしの方々もまだ数多くいらっしゃいます。
元気で体力のある皆様に
引き続きボランティア活動に参加していただけますよう、
ご支援いただけますよう、
心からお願い申しあげます。


| 未分類 | 18:20 | comments:12 | trackbacks:0 | TOP↑