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小さな町の小さな図書館は少女雑誌の宝島

菊陽町図書館が所蔵している“少女雑誌”は種類も数も日本一・・・
という噂を耳にしたのはいつ頃だったかしらん。
“少女雑誌”で育った身としてはすこぶる興味をそそられましたが、
噂でしょ、みたいな、
そんな小さな町(すみません!)の図書館が日本一? みたいな、
端から疑るゴーマン気分が多少あって・・・
しばらく手付かずでおりました。
上から目線ですみません。
でもですね、
いいわけさせていただくと、
熊本在住者から見れば、
菊陽町って阿蘇・熊本空港に行くときチラッと通過する
いちめん畑に囲まれた長閑で緑いっぱいの
村と呼んでもおかしくはない本当にささやかなサイズの町・・・
といった感じです。
そんなところの図書館が何故? なんで? と
はてなマークは
どうしたって浮かんでしまうのです。

それが去年の暮れ、
いんや、今年の初めでしたかしらん、
熊本日日新聞のインタビュー欄「今週のこの人」を目にして
180度変わったのです。
登場したのは
菊陽町図書館・臨時職員で「少女雑誌担当」という村崎修三さん。
おっ、菊陽町図書館だ、と座り直し、
少女雑誌担当という部署があるのに少し驚き、
担当者が少女雑誌とは対極にあるような75歳のおじさまであることに、
思わずうなりました。
そのミスマッチさが、
何かとッても“少女雑誌”の世界らしくて、
むくむくと本気で興味が湧いてきました。


これがそのときの熊本日日新聞の記事。

新聞記事


いったいぜんたい75歳のおじさまがどうして“少女雑誌”担当なのか、
興味津々で読み進みますと、話はこういうことでした。
要約してお伝えします。

  昔々、村崎少年の夢は雑誌の挿絵画家になることだった。
  絵の参考のため少年雑誌はたくさん読んだが
  少女雑誌はさすがに買えない。
  勉強のために読みたくて
  同級生の女子に「絵を描いてあげるから雑誌を貸して」と頼んだところ、
  いつの間にか(絵の)依頼がどんどん来るようになり
  自然と雑誌も集まってきた。
  で、たくさんの絵を描いているうち
  村崎少年の夢は少女雑誌の挿絵画家へと収斂していく。
  美大目指し浪人もし、作品を出版社にも持ち込んだ。
  しかし現実は厳しく夢半ばで挫折。
  気がつけば
  手もとには数え切れないほどの数の少女雑誌が残っていた。
  東京・銀座で7年間会社員として働いたあと
  生まれ故郷の熊本市に戻った村崎さん、
  29歳のとき洋菓子店を開店し、58歳で閉店した。
  (洋菓子職人さんでもあった?)
  そして2003年の菊陽町図書館の開館時
  「個性的な図書館を作りたい」と依頼され
  約2800冊の少女雑誌を寄贈した。
  以来菊陽町図書館の臨時職員として、
  少女雑誌の目録作り、研究、展示の企画作りなどに勤しんでおられる。


なんと約2800冊。
個人のコレクションとしてはすごくないですか?
以後も村崎さん、給料の全てをつぎ込み集め、寄贈し続けて、
現在の図書館としてのコレクション数は約70誌、約3000冊に上るといいます。
国会図書館の32誌、2186冊を凌いで蔵書数日本一です。
国立に町立(それもすこぶるちっちゃな町)が打ち勝つとは、
何とも気持ちいいですね。

それで「これは行かねば、そして見なければ」と
心が奮い立ったというわけなのです。
ならば普通「行くなら 今でしょ」となるのでしょうが、
このあと私には母にまつわるいろいろな試練が待っていて、
そのごたごたから完全に開放されたら4月も半ばを過ぎていました。
で、遅まきながら菊陽町図書館のHPを開いてみたのです。
するといきなり
「少女雑誌のふろく付録附録、大コレクション展」開催中
というお知らせが目に飛び込んできたから歓喜の雨嵐。
少女雑誌の付録がどんなに魅力的で貴重で大切なものであったかは、
かつて少女であった人しか判らないと思っていましたが、
さすが村崎さん、芸が細かい。
明治37年から平成にかけて発行された
少女雑誌の付録を約300点展示とあります。
付録も大切に保管されていたのですね。
さらに4月29日祝日の午後2時からは
村崎さんによる「少女雑誌のおはなし」も行われるとあっては、
これはどうしてもその日行かねばならないことになってきました。

こういうとき車があるといいですねえ。
さっと気軽に行けますもんね。
車のない私が熊本市のお隣である菊池郡の菊陽町図書館へ行くには
熊本=大分を走るJR豊肥本線に乗らなくてはなりません。
調べたら、
うちの近くの水前寺駅から菊陽町近くの三里木駅まで駅は5つ、
乗車時間はおよそ15分と判りました。
すごい遠くに思っていたけれど、
JR中央線に乗って吉祥寺へ、とか、
地下鉄に乗って上野まで、とか
東京だったらそのくらいの時間はどこに行くにも要するわけで、
それほど遠くはないような・・・。
地図で見ると図書館は三里木駅から徒歩10数分らしいから、
トータルすれば所要時間は30分くらいではないか。
じゃあいいよね、
お天気だし、
散歩気分で楽々行ける、
と踏んでいた・・・・のに、
三里木駅から出ると目の前を
豊後街道(詳しく言うと豊後街道につながる道路)が走っていて、
豊後街道といえばかつては殿様が行き来された杉並街道じゃないですかッ、
それでいきなり“こりゃあ遠くまで来ちゃったぞ”気分に襲われる。
しかも街道沿いは車びゅんびゅんで空気が悪く、
とても散歩気分にはなれませぬ。
最初の交差点の道路標識に
図書館のある“菊陽杉並公園”は左折と出ていたので、
地図の指示は無視してそちらを信用し
左に折れて進みゆくことおよそ10分。
周りいちめん畑という区画に出てしまいました。
もちろん人っ子一人いません。
茫然としていると
ひらひら飛び交っていた蝶々がなぜか何匹も寄ってきてつきまとう。
彼らを手で追い払いながら何度も何度も見回しましたが
いずこにも図書館らしき姿は確認できず、
不安になりまた元に戻って
豊後街道杉並木をてくてく進むこと20分ちょい。
今年一番の暑さのもと汗だらだらの状態で
やっとのこと辿り着いた菊陽町図書館でした。
迷った自分が悪いとはいえ
駅から要した時間はおよそ40分。
地方の町はあなどれませぬ。


隣の杉並公園の緑にとっぷり囲まれて静かに佇む菊陽町図書館

菊陽町図書館玄関

 (この写真を含めて以後の横位置カットはすべて右端が切れています。
  サイズ縮小のやり方がまだわからないのです、すみません)


当然ながら「少女雑誌のおはなし」は始まっていて、
村崎さんを囲む形で10数人の受講者が席に着かれていました。
その全員が中高年・・・というのも
テーマがテーマだけにまあ仕方ないですかね。
出遅れ感に焦りながらおとなしく後方に着席。
40数分の遅れは
皆さん方の会話に追いつくに多少の努力を要しましたが、
村崎さんの想像以上に面白い「おはなし」の数々に
気がつけば膝を乗り出し聞き入っている自分がいました。

まずは「少女雑誌とはなんぞや」の定義づけが面白いんです。
女の子向けの雑誌なら何でも少女雑誌じゃないの? 
と思っていたらそうではないらしい。
明治35年(1902年)から昭和65年頃まで出版された
10代の少女を対象にした雑誌を指すのだそうですが、
漫画雑誌は例え少女向けであっても少女雑誌ではないらしいのです。

もちろん少女雑誌にも漫画が載ってはいるのです。
しかしいちばんの特徴は、
小説、随筆、詩、美術評論、ファッション、ヘアスタイル、
インテリア、料理、手芸、家事、エチケット・・・などなどなどの、
少女の教養に関する様々な記事と知的題材で構成されていることでした。
書き手も、岡本かの子、与謝野晶子、田山花袋、室生犀星、北原白秋、
吉屋信子、西条八十、川端康成などの
錚々たるメンバーが名を連ね、
読み物の充実度といえば現在の女性誌の比ではありません。
今では当時の掲載誌でしか読めなくなっている作品もあって、
資料的価値も高いらしいのです。
少女相手といえども
手を抜かない雑誌作りがなされていたんですねえ。
私も「女学生の友」に掲載されていた
川端康成や三島由紀夫の小説を読んで、
それまでの少年少女文学全集的なものから
大人の世界へ一歩踏み入ったような気がしました。
ちなみに私は、
小学低学年のとき「りぼん」、高学年で「少女」と「女学生の友」、
中学生になったら引き続き「女学生の友」と
憧れの「ジュニアそれいゆ」を購読していました。
中原淳一編集の「ジュニアそれいゆ」は他の少女雑誌より
内容もですがお値段もワンランク上。
ゆえに懇願に懇願を重ね、
「贅沢だ」としぶる母親を“おとした”ときの
喜びの記憶は鮮明に残っています。

明治35年(1902)には
早くも我が国初めての少女雑誌「少女界」が誕生していたそうですから、
日本独特のこの文化、奥が深いですよねえ。
その歴史の中で特に重要な位置にある雑誌を紹介して下さいました。
創刊時期の順に書きます。

「少女の友」(明治41年2月号〜昭和30年6月号)実業之日本社
主に都市部の女学生たちが愛読し、“上品で好みがいい”がキャッチ
フレーズ。大正時代は竹久夢二が口絵や挿絵を描いて人気を博し、昭
和になると川端康成、吉屋信子の少女小説、中原淳一、松本かつぢの
挿絵が少女たちを魅了した。

「少女画報」(明治45年1 月号〜昭和17年4月号)東京社〜〈昭和6年より
新泉社に移行〉東京や横浜に住む(ずいぶん狭い範囲に限定されてますこと!)
女学生の愛読書で、良妻賢母主義の読み物と実用記事との誌面構成が特徴的。
吉屋信子、西条八十らの少女小説を軸として高畠華宵の挿絵が人気を呼ぶ。
       
「令女界」 (大正11年4 月号〜昭和25年9月号)宝文社
蕗谷虹児の表紙絵が洗練された都会性をアピールする女学生より少し年上の
未婚女性向け雑誌。少女小説や詩が中心で一流作家が顔を揃えた。

「少女倶楽部」(大正12年1 月号〜昭和37年12月号)講談社
小学上級の女の子を読者対象とし、伝統的で親が安心して与えられる雑誌
として圧倒的な支持を受けた。

「日本少女」 (昭和17年2 月号〜昭和19年3月号)小学館
戦時雑誌統合令で生まれた雑誌。戦意を高揚させる内容の国策雑誌と言える存在。

「ひまわり」 (昭和22年1月号〜 昭和27年12月号)ひまわり社
挿絵画家中原淳一が編集した独特の少女的雰囲気にあふれ、少女たちから
圧倒的な支持を受けた。内容は文芸から生活全般まで多岐にわたり、おしゃれで
上品な少女になるための教養を育んだ。

「少女」  (昭和24年2月号〜昭和38年3月号)光文社
映画紹介などのグラビアを巻頭に、サトウハチロー、久米正雄などの少女小説が
多く載せられ『あんみつ姫』や長谷川町子の漫画も掲載。少女たちの娯楽に基を
おいた編集方針の雑誌。

「女学生の友」(昭和25年4 月号〜昭和53年12月号)小学館
詩や少女小説、翻訳読み物などが中心で、学習ページや漫画も掲載。昭和40年頃
から少女小説に代わってジュニア小説を主流とした。




と、ここまできたところで、
“ジュニア小説”と“少女小説”の違いは何かという質問が出ました。
村崎さんは「よくぞ聞いてくれました」という表情になり
笑いながら答えます。
 「みなさん、気付きましたか? 少女小説にはですね、
  兄弟、お父さんやおじさん、
  先生や近所の青年など、
  主人公の周りにいろいろと男性が登場しますが、
  主人公にふさわしいお相手は出てこないんですね。
  男はみ〜んな恋愛対象外なんです。
  何故かというと、
  少女小説で重要なのは“おねえさま”なんですね。
  同性の上級生や先輩への憧れが
  少女小説では大きなテーマだったんです。
  それが昭和30年代に入り、
  『女学生の友』の付録小説に
  初めてボーイフレンドという存在が登場したんです。
  そしてそれはジュニア小説と名付けて
  少女小説とはジャンル分けするようになったんです」

なるほど思い返せば確かに、
少女小説には“おねえさま”(Sの関係)に憧れる話が多かったですね。
それに感化されて現実でもSは女子校で流行りました。
私も男の子と女の子の話より、
Sや男の子たちの少年愛のほうが面白くて、
けっこう読み耽っていました。

次いで
少女雑誌はその時代の雰囲気や文化的背景を色濃く反映している
というテーマに変わり、
その例として4冊の雑誌が回されました。

左上「ひまわり」昭和23年3月号から時計回りで、
「少女の友」昭和20年6月7月合併号(コピー)、
「少女の友」昭和15年7月号、
「少女倶楽部」昭和20年9月号(コピー)

昔の少女雑誌


この4冊、
太平洋戦争をはさんだ8年の間に出版された少女雑誌の一部です。
この時期は言論統制やパルプ資源節約のため雑誌の統廃合が進められ、
昭和19年には少女雑誌も「少女の友」と「少女倶楽部」の2誌だけになったそう。
コピーで作った2冊が昭和20年の敗戦間際と敗戦直後に出版されたものです。
極端に薄いですね。
原本の傷みが激しいため閲覧用はこのようなコピーとなってしまいました。
2冊共もんぺ姿で農作業をする少女の絵が表紙になっています。
「少女倶楽部」を開くと
目次の上に“もんぺをはき続けましょう”という一文。
巻頭エッセイの特集は“─大詔を拝して─新しい日本と私たち”。
後半には“いなごを捕りませう”というコラムがあって
いなごの栄養や捕り方、食べ方が挿絵付きで紹介されています。
胸がきゅんとなりました。

広告も昭和15年の「少女の友」までは
こんな可愛いコピーライトが許されていました。
森永ドロップスの広告です。
飴玉の美味しさを表現するのに
“リボンを結ぶ少女といった感じの可憐さです”なんて言葉は、
今はなかなか出て来ませんよお。

広告も可愛い


それが昭和20年になると
デパートの広告さえも
「無駄な買い物はやめましょう」というキャッチコピーに。
挿絵もそれまでの目が大きくてかよわい雰囲気の少女から、
狐目の体の丈夫そうな女の子に変わっています。
漫画も労働する女の子が主人公です。
世の中を反映するのが雑誌だから仕方のないことですけども。

「ひまわり」に関するエピソードも面白いですよ。。
明治・大正時代の少女雑誌は一冊5000円くらいしたから(たかーっ)、
読者はお金持ちのお嬢様に限られていたそうです。
昭和に入って少しは安くなったとはいえその傾向は続き、
購読層はやはり中流より上の家庭。
読者投稿欄を読むと
“明日の遠足の準備はばあやに手伝ってもらいます”
などのお嬢様の投稿が目立ちます、と村崎さん。
中でも「ひまわり」は良家のお嬢様方に人気があったらしいです。
中原淳一の甘ったるい少女絵とはうらはらな
他誌より上を目指した教養記事のシビアな内容が
理知を求める良家の子女の支持を得ていたのでは、と村崎さん。
 「みなさん、正田美智子さんはご存じですね?
  今の皇后陛下さんですが、
  この人こそそうなんですね。 
  皇太子との婚約発表記者会見のときですから
  何年前になりますかねえ・・・、
  私は忘れられません。
  記者が『どのような少女時代でしたか?』と訊ねたんです。
  すると『〈ひまわり〉を読むような少女でした』と答えられたんですよねえ。
  もうこれだけで、
  どういう階級の人で、どういう生活をしておられたのかが、
  私にはサーッと伝わって来ましたね」



またまた話が長くなりかけてきた、すみません。
「おはなし」はこの辺にして、
本日の目的である
「少女雑誌のふろく付録附録、大コレクション展」に急ぎましょう。
あ、展示室が見えました。
きゃっ、展示室もこんなに可愛い!

展示室も可愛い


入ったとたん濃厚なる少女世界に目が眩みます。
壁にずらりと
明治から昭和初期までの“少女すごろく”が並んでおります。
すべて新年号の付録と思われます。
昔はすごろくがおしゃれな遊びであったようです。
皆とても良くできていて面白いですよ。
目立ったものだけピックアップしていくと、
明治39年からの「少女世界」「女学生界」の付録として、
年中行事双六、女装双六、お姫様双六、遊技双六と続いています。
そしてその次のに目が釘付けになりました。
明治44年の「少女の友」付録のおよばれ双六。
お金持ちのお嬢様が高級車に乗り
およばれしたお宅の門を潜るところから「はじまり」ます。

お出かけ双六

豪奢なお宅の様々なしつらえの部屋を進み、
「あがり」は晩餐の準備に忙しい食堂・・・という構図です。
女中もたくさんいて、離れもある。
なるほどお金持ちのお嬢さん方に受けそうですね。
それにしても、
部屋から家具から小さな生活道具にいたるまで、
丁寧に細やかに描かれている室内俯瞰図には見とれました。

大正5年の「新少女」の付録は家族双六。
元日だの七夕だの家族の年中行事を竹久夢二がロマンチックに描いています。
ごく普通の生活内容がすごろくになるなんて
考えたこともありませんでしたから面白いのなんの。
昭和5年の「少女倶楽部」のすごろくは少女幸福双六。
お洗濯、お守り、教養、お手伝い、勉強、お裁縫、身だしなみ、
親切、同情、編み物、運動と、
地味な少女必須科目が続いて「あがり」が音楽発表会。
なるほどなあ、と感心しました。
地道な努力の結果が幸福につながる・・・と
あらためて教わった感じで。

オリンピック得点競争双六という愉快なものもありますよ。
昭和3年「少女の友」の付録です。
恰好が可愛いですね。

オリンピック双六



展示ケースにはため息ものの可愛い付録がぎゅう詰めに。 

ため息ものの展示物


松本かつぢの付録もたっぷりあります。かわいいなあ。

かづちの付録


昭和10年前後の中原淳一による便箋、封筒、はがきなど。
淳一の初期は竹久夢二の雰囲気ありますね。

初期の淳一


こちらは昭和20年代の中原淳一の付録。
このあたりからは私にも見覚えがあります。
何しろ淳一さまに夢中の子供で、
真似て何枚も絵を描きました。

私も持っていた淳一



小学上級生のときだったと思いますが、
山鹿(熊本市のお隣の古い温泉町)に住む5歳年上の従姉妹から淳一のレターセットをもらい嬉しくて、
その夜は眠れなくなり(夏休みか何かで泊まりに行っていた)、
翌日も家に帰るときのバスの中で盗まれないよう眠気を我慢し、
帰ったとたん睡魔に襲われ
玄関にバタンキューと倒れたことがありました。
当時中原淳一は私の神様だったのです。
だから付録はぜんぶ大切に箱に入れて仕舞っていたのに、
それを母は無慈悲にも、
私が東京へ飛び立った後、
やはりたくさんあった映画雑誌と共に“くず屋さん”に出したのです。
今言う「だんしゃり」ですかねえ。
私、どれだけ怒り、罵ったことか。
そういう思い出がこれらの付録を見たとたん
ワーッと蘇ってきたから、
展示室の中でしばしぼんやりしてしまいました。

結局その日は
雑誌の一冊一冊に目を通す余裕は皆無でしたね。
もちろん3000冊だから
全てを見ることは不可能でしょうけれど、
今度はゆっくり
時間を持って訪れようと思っています。
菊陽町図書館は
少女雑誌ファンであれば
ぜひ一度は行ってみるべき“宝島”と断言します。
蔵書は閲覧申請をすれば誰でも読めるので、
日本全国のみならず海外からも閲覧希望者が訪れるらしい。
小さな町の図書館ですが貴重な存在なんですね。

菊陽町図書館
〒869-1102 熊本県菊池郡菊陽町大字原水1438-1
☎096-232-0404(代表) 096-232-7757(直通)
HP http://www.kikuyo-lib.jp
E-mail office-003@kikuyo-lib.jp


残念ながら付録のコレクション展は5月6日で終了します。
私が行くのが遅かったので
ここでのお知らせも遅れてしまいました、ごめんなさい。
でも菊陽町図書館では
7月〜11月、 12月〜5月の年に2回、
少女雑誌の企画展が行われますので、
HPなどで確認されれば、
面白い展示に出会えるのではと思います。

長々と読んでいただき、ありがとうございました。
  





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